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2012年9月 3日 (月)

責任能力の難しさ

 責任能力の研修で,全国各地を飛び回っています。すでに岐阜,茨城,栃木,香川の各弁護士会にお招きいただき,「責任能力を争う裁判員裁判の弁護活動」というテーマで講演をさせていただきました。今後は東京のほか,鹿児島,愛媛,愛知に伺う予定になっています。これまで,責任能力をテーマにした研修はほとんどありませんでしたから,多くの弁護士に関心を持っていただけたことに驚いています。

 さて,これほどまで弁護士の関心が高まっている背景には,精神疾患を持っている方が犯罪を犯してしまった場合に,なかなか裁判員の理解が得られない,という問題があるように思われます。先日,大阪地方裁判所において,発達障害を持った被告人が同居していたお姉さんを殺害したケースで,検察官の求刑を上回る20年(有期懲役刑の上限です)の判決が言い渡され,各地の精神障害者の支援団体等から抗議の声明が出されました。

 私もこの判決には問題があると考えますが,同時に多くの市民が「精神疾患があるというだけで,刑が軽くなったり,無罪放免になるのはおかしいのでは」という素朴な疑問を持っておられることには向き合う必要があると感じます。近代刑法は責任主義に立脚しているからとか,わが国でも養老律令の時代から精神疾患を患う方は不処罰とされてきた,というだけでは,なかなか納得が得られなくなって来ているのでしょう。

 弁護人としては,ただ精神疾患があるから刑を軽くすべきであるとか,治療を受けさせるべきであると主張するのではなく,その根拠に遡って,裁判員も含めた「普通」の方々(何が「普通」かと言われそうですが,法律家でも,精神障害者の支援に関わる方でもない,という意味です。)に説明する必要があります。もし誤解があるのであれば,その精神疾患がどのような病気であり,どのような症状が出るのか,なぜそのような病気になるのか(遺伝的なものなのか,後天的なものなのか),そのような症状を抑えるにはどうすればよいのか,どうすれば再犯を防ぐことができるのかについて,正しい知識を提供する必要があります。そのためには,まずは弁護士自身がもっと彼らを知る必要があるでしょう。
 
 私たちは,東京都江戸川区にある東京ソテリアを定期的に訪問し,ゼミや勉強会などを行って来ました。精神疾患を患った方やそのご家族,それらの方々を支援する専門職と交流し,お互いにどのような連携が可能であるのかを探って来ました。その中で,同じ統合失調症と言っても様々な症状の方がいらっしゃること,必要な支援のあり方もそれぞれに異なること,しかし,必要な支援さえあれば社会の中で生活することは十分に可能だし,実際にそのように生活している方がたくさんいることを知りました。こうした日常的な連携の中から,「普通」の方々にも通じる言葉を紡ぎ出していければと思っています。

(田岡)

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コメント

田岡先生へ
 報道で精神疾患者の犯罪などが報じられる度に医師の立場から思う事は、精神疾患者の犯罪が不適切に裁かれているのではないか?という釈然としない思いです。   不適切と感じるのは刑の軽過ぎも重過ぎも両方です。
 私は内科医ですが精神病院で内科治療をしたり老人施設で認知症の患者さんに接したりした経験はあります。

 まず、司法の場で「精神疾患」が正しく判断されているのか?と言う疑問があります。
 司法で精神鑑定に拘る精神科医は限られた人と時間で犯罪者(患者)の精神鑑定をしているので、通常の精神科や精神病院で時間をかけて比較的正確に精神疾患の診断をするのとは異なると思います。
 だから「精神科医の鑑定の結果」責任能力がないため無罪と言う報道を聞くと「本当に責任能力がないのかな?診断は正しいのかな?」と鑑定の医学的正確性を疑う気持ちが起きるのです。本来は精神病ではなく責任能力があり有罪なのではないだろうかと。

 次に、日本の精神医療の不十分な現状から、精神疾患の患者のすべてが病院や施設で保護されていない現状があるのです。だから犯罪が起きても精神疾患患者の本人だけの責任ではないとも感じるのです。
 本当に責任能力のない精神病者は無罪になるべきなのですが、同時にその様な犯罪を起こさないで済む様に病院や施設で保護してあげるべきだった、と、医療側の制度の問題点を感じるのです。
 例えば統合失調症などの幻聴で「人を刺せ」と聞いて通行人を刺した様な場合などは医師としては「なぜその統合失調症の患者さんを施設などで保護する体制がなかったのか?」と思い、その統合失調症の患者さんも医療体制の不備の被害者とも感じます。現実にはすべての患者を保護する施設も予算もないのですから。

 また精神疾患に対する安易な決めつけや差別の問題も感じます。
 最近は「発達障害」と言う言葉が教育現場でも裁判でも話題になっている様ですが、一口に「発達障害」と言ってもさまざまな病態や病状があり、逆に正常者の中にも「発達障害的な人」はいくらでもいるので、精神病と正常のさかいめはそもそも明確ではありません。
  例えばアインシュタインやスティーブジョブズなどの天才も発達障害であろうと言われていますが、彼らが犯罪者になるとは考えられていません。
  ですから単に「発達障害」であるから「学校で学習障害になる」とか「将来犯罪を犯す」など単純に1対1対応で決めつけられる性質のものではないのです。
  だから「発達障害」や「統合失調症」などの病名が一人歩きして、犯罪者に直結するような発想は危険だし、その様な発想は医学とは掛け離れた素人的発想であり風評に近いとも感じます。

  結論として裁判での精神疾患の犯罪責任能力の問題は、より正確に診断を行う方法の検討が必要があると同時に、犯罪につながる精神疾患(てんかんや統合失調症など)の患者を十分に保護サポートする施設も充実して、精神疾患の患者が不幸にも犯罪を起こすことのないような医療体制も構築する必要があると思います。
  司法の側から精神疾患者の犯罪を裁いたり無罪にする立場と、医療の側から患者を保護したり見放したりする立場の、隙間が開いていて、その隙間に落ちた患者が意図せず犯罪者になったり、あるいは精神疾患のふりをして無罪になったりなどの「グレーゾーン」になっているのが問題ではなかろうか?と思うのです。

犯罪と保護の隙間さん、コメントありがとうございます。発達障害や統合失調症の病名だけで判断するのは危険であるとのご指摘、また、正確な診断と適切なサポート体制の構築が求められているとのご指摘は、まったく同感です。精神鑑定では、パーソナリティ障害(人格障害)と診断されることもしばしばありますが、パーソナリティ障害と言ってもその症状は様々であり、安易なラベリングはかえって本質を見えなくしてしまう危険があるのではないかと感じます。統合失調症や双極性障害についても、操作的診断基準が支配的になったことにより、やや安易に診断がつけられてしまっているのではないか、と感じることがないではありません。
世間では、弁護士といえば、黒を白と言いくるめる、責任能力についていえば正常な人間でも異常であるかのように装って罰を免れようとするのを手助けしているかのように見られているようですが、断じてそのようなことはありません。私たちもまた、制約はありますが、罰を受けるべき人が罰を受け、治療を受けるべき人が治療を受けることを望んでいます。ただ、その境界は流動的であり、時代により国により、さらには、裁判官(裁判員)により変わり得るでしょう。私たちの役割は、その判断が適切になされるように、医師の助けを借りてその病気がどのような病気であり、事件にどのように関係しているのかを明らかにするとともに、その事件が起きた原因あるいは背景には医療や社会のサポート体制の不備や誤解があれば、それを提起して行くことではないかと考えています。今後とも、よろしくお願いいたします。

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